F1との出会い ~ 中嶋悟

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F1との出会いは小学生位のころ、タイレルP34との出会いが初めてだったように思う。

その頃は当然のことながらテレビ放送も無く、小さい私が見れるものとも思わなかったので単純に速そうでカッコいいクルマという感覚と、クルマはタイヤが4本という概念を変えるクルマ(6本タイヤ)という部分ですごく印象に残っていた。



ウチのオヤジも昔はレース(車)が好きだったようで、F2000の現場録音のカセットテープ(まさに音だけ!)に「中嶋トップに浮上!」などというアナウンスを自宅で聞いたりして、今から思うとそういうのが影響して自然とレースというものが好きになっていったんだと思う。

そして月日は流れ、私が高校生のとき遂にF1GPがフジTVで放送されることとなる。そしてフルタイムドライバーとなった中嶋悟の名前を、ここで再度聞くことになった。最初は普通のおじさんにしか見えなかったのだが(笑)。

それからは本格的なレース漬けの毎日(おおげさか)になる。レースをビデオで撮っては何度も繰り返し見まくり、今のようにネットが全く無い時代のため情報を知るために書籍を買いあさり、どんどん深くハマっていった。

やはりスタードライバーも華があっていいのだが、やはり日本人を一番に応援してきた。中嶋、鈴木、片山を筆頭に、日の目を見なかった日本人も多数いたのだが(速かった高木など最たる例)、いつも日本人ドライバーを中心にシーズンそのものも楽しんだ。

昨年は佐藤の台頭で相当楽しめたシーズンであったが、自分の中での日本人ドライバー像はやはり中嶋であり、彼無くして今の私のF1熱は無かったといってもいいくらい(おおげさか?)の影響を与えたと思う。成績こそ立派なものは残せなかったが、F1に上り詰めるまでの日本での実績、F1デビューから引退までの数々の困難や、印象に残る走りを見せたレース、それらが今でも強烈に印象に残っている。

中嶋のレースの中で一番印象に残っているのが、89年雨のアデレードでの最終戦。ロータスを出て名門ティレルに移籍することが決まっていた中嶋は最終レースであるオーストラリアGPを見事4位でフィニッシュした。結果も自己最高位(87年イギリス以来)であったが、何よりも雨の中3位のウィリアムス パトレーゼをファステストラップを更新しながら追い上げた走りは本当に感動を生んだ。夜中テレビを見ながら手足が震えるのを感じたほどだ(笑)。
一時1分近くあった差をどんどん詰め、テールトゥノーズまで迫ったのだが、パトレーゼの巻き上げる水煙が中嶋のジャッドエンジンをミスファイアさせてしまい、抜くことが出来なかった。タラレバは無しにしてもあのミスファイアが無ければ確実に表彰台に乗っていたことだろう。
ただ、結果が4位であれファステストラップを記録し(未だレース終了時のファステスト保持者は日本人では中嶋だけ。レース中のファステストは鈴木や佐藤もあるが)、果敢に雨の中を走り抜けた中嶋は最高にカッコよかった。レース後のイヤープラグをポンと捨て去るしぐさもまたカッコよかった。
中嶋はもともと小柄で年齢の関係もあり力が欧州勢に比べても非力でどうしてもドライのときはクルマをねじ伏せるような走りが出来なかった。結果雨の場合、速度低下に加え濡れている路面がステアリングを切る力を軽減させ、あのような結果になったのだと思う。雨の中嶋たる所以である。
あれが私の中での中嶋5年間のF1人生の中での最高のレースだったと言える。

その後中嶋が2年間走ったティレルチームが、現在佐藤の在籍するBARの前身となっていることも何か言いようのない感じを覚える。