1945.08.06

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今日は63年前の広島原爆投下の日。3日後の8月9日には長崎に再度原爆が落とされ、数十万人の一般人の尊い命が失われました。そして8月15日に終戦を迎えた訳です。このブログを見ている方も広島ゆかりの方もおられるかと思いますが(ちなみに私は京都人で広島には残念ながら行った事はありませんが)、最近では「8月6日は何の日?」と聞いても何の日か分からない若い世代が増えてきたそうです。それはある意味幸せな事なのかもしれませんが、事実を風化しても良いというのとはまた別問題です。今の教育がこういった事実を簡単な1文でしか教えていないというのにも問題があるでしょう。事実をありのままに伝える事が、胸の奥底に響き、人の心から消えない記憶を作るんじゃないかと思います。

私は昔から歴史・史実物の文庫が好きで、戦争関連の本もかなり読みました。太平洋戦争関連の文庫は数十冊くらい読みましたが、想像を絶する悲惨さと言う他ありません。これは興味本位とかではなく、この国が戦争を行っていたという事実、そして世界唯一の被爆国という事も大きく、「絶対に知っておかなければいけない」「自分の子供にも何時か伝えたい」という想いが強かったからです。本来はこうして自ら知ろうとする事も大事ですが、こういう史実に関しては「教えていく・伝えていく」という努力が教育現場にもっと必要じゃないのかなって思います。



私は勿論戦争体験の無い世代ではありますが、私の母方・父方の亡き祖父はどちらも戦地経験をしており、重要なのは「共に生きて帰ってきた」からこそ今の私が存在している訳です。こういう運命・巡り合わせというのは本当に奇跡みたいなものだと思います。少しでも歯車が狂っていれば、自分は勿論の事、私の周りに存在している様々な知人・友人も存在しているか分からないのですから・・。今生きているという事が、どれだけの奇跡が重なり合っているかと言う事を理解しなければいけないですよね。
原爆投下の事だけじゃなく、太平洋戦争での様々な出来事(フィリピン戦、東京大空襲、硫黄島戦、沖縄戦、神風特攻隊、等々)も、もっと奥深く伝えていかなければいけないと思ってます。硫黄島からの手紙という映画も見ましたが、実際の悲惨さからは程遠いように感じましたし・・。

私がここで書きたかったのは戦争における善悪を追求するのではなく、「今の当たり前の日常が、本当はどれだけ幸せな日々であるのか」と言う事なのです。戦時中に命を落とされた数え切れない多くの方々に心よりご冥福をお祈りしたいです。その命が散っていったからこそ、様々な問題を抱えているものの平和な日本がここにあるのですから。





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