音楽との出会い(3)

某大学に進学した私はこれから始まる新生活にワクワクしていた。学内でタバコも吸えるし(20歳未満では?というツッコミはさておいて)、一気に大人になった気分になっていた。もちろん自身の自己責任が大きくなるという責任感みたいなものも同時に大きくなるような感じであった。

全てにおいて新鮮な状況の中、やはり大学生といえばサークル活動でしょう!ということでサークルを探す事にした。
この時同じクラスメートとなった奴とまず仲良くなったのだが、それは共通の趣味であるバイクの話で盛り上がったからである。で、やっぱりツーリングサークルみたいなバイクのサークルに入ろうと思うようになって入学時にもらったサークル一覧を見て探していた。

ところが、無いのである。何が無いのかというとバイク関連のサークルが無いのである。そのクラスメートとはサークルに関する話はしていなかったのだが、どうしようかと思っていた。けど無いものは仕方がない。バイク以外での興味とすれば音楽関連しかない。そこで音楽サークルを探すと色々とある。軽音楽部・フォーク研究会・ジャズ研究会 etc。ただフォークやジャズなどは全然分からないしやっぱり軽音楽部かなと思い部室を見学に行く事にした。(後日分かったことだがジャズ研究会はHR/HMバンドが多数在籍するサークル(笑)、フォーク研究会もロックバンドが沢山あるサークルであった(笑))。

軽音楽部のサークルはどこの大学でもそうだと思うがとてもフランクで、それでいて強烈に入部を勧められた。ちょっと考えてまた来ますーってな感じではないのである(笑)。今ここでYES/NOを決断しなければいけない雰囲気であった。まさに「ファイナルアンサ?」という感じで(笑)。もちろん過去の経験も話ししたのでそういう部分もあったのだと思う。ただ先輩方もとてもよい方ばかりでここなら楽しめそうだなって思い、思い切ってその場で入部を決断した。入部申し込みに記入をし、次の総会(週一の集会みたいなもの)の日時を教えられ、その時にサークル員に紹介しますとの事だった。

部室を出て、さあ学業もサークルも頑張ろう!と思いながらトイレに行った。そしておもむろに小を放出しているとき、目の前のチラシに目が行った。

・・・・「バイク同好会 皆さんもツーリングしませんか?」・・・・・

な、な、何!!!(笑)
どういうことだと目を疑った。サークル一覧にはそんなのは全く無かったではないか!あわててもらったサークル一覧を見直した。しかしやはり載っていない。すると下の方に小さい文字で記載があった。

※「サークル」のみの掲載です。「同好会」は掲載しておりません・・・・

・・・・。ようするに、サークルというのは学校が認定した正式なクラブである。したがって学校からも予算が出るとのことだ。同好会というのは学校が認定していないいわゆる同士達が立ち上げたサークルの事で、予算等も当然無いようだ。学校が認定していないからもちろん入学時にもらったサークル一覧にも掲載されているはずが無い。

それにしてもなぜ軽音楽部の部室に行く前にトイレに行かなかったんだ・・と自分を責めた(笑)。しかし今となっては後の祭り・・。しばらくしてクラスメートに会いその話をしたところ、奴はそのバイク同好会に入部したとの事・・。それなら早く言えよ!と思ったのだが、もう入部手続きも済ませてしまったしもうどうしようもない状況であった。でも奴はそれならそっちの入部(軽音)を断ってバイク同好会に入ろう!と熱心に説得された。私もどうしようかと悩んだのだが、やっぱり入部を断ってバイク同好会に入ろうと一度決心をした。

そして軽音の総会の日、ここで話をしようと思っていたのだがいきなり自己紹介から始まり早速新人歓迎ライブの話になってしまい、もう辞めますと言える状況ではなくなった(笑)。

かくして(長すぎだが)ここから大学時代の音楽人生が始まった。

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音楽を始めるからには長髪だろう!と髪を伸ばし色も変えどんどんバンドマンみたいな風貌に変わっていった。恐らく高校時代の友人には私が誰なのか一目見ただけでは全く分からないだろうくらいに。飲み会ではハメを外しまくり、もうムチャクチャな生活を送っていた。しかしそれが最高に楽しかった。あの時の友人たちとは30を過ぎた今でも付き合いが続いているくらいだ。しかし学業はどんどんおろそかになっていき授業には出なくなってしまっていた。そして音楽活動にどんどんハマっていった時代だった。そして淡い恋も経験したし、悲しい失恋もその頃経験した・・。

そして音楽活動が活発化していくにつれ、その頃よく演奏していたバンドのコピーだけでは物足りなくなってきていた。そして軽音という枠内だけでの活動にも物足りなくなり、ついに音楽方向性の一致していた仲間たちとバンドを組み、オリジナル曲を作りライブをするためにデモテープで売り込みに走り出した。ジャンル的にはビートロックというか多分にBOOWYやBUCK-TICK、D'ERLANGERなどから影響を受けていたと思う楽曲が多かった。ライブハウスのチラシには「ビートパンク」と書かれていたが(笑)。今から思うと一番練習していた時期であった。そしてそのころ全く授業に出ていなかった(サークルには毎日行ってたが)のに授業費を払ってもらってる親に申し訳なく、4年目を迎える前の春に学校を辞めたい旨(一応建前的に音楽でメシを食う!と言ってしまいましたが(笑))伝え、完全フリーな状態で(もちろんバイトはしていたが)音楽活動に打ち込んでいった。

両親には大変申し訳ない思いと同時に沢山友人を作れる環境を与えてくれたことに今でも本当に感謝していることをここで述べさせていただく。私自身が子を持つ親となって初めて思う「親のありがたさ」である。

その頃は月1度くらいは適当なライブハウスでのライブを行っていたのだが、ついに地元の有名ライブハウスのオーディション(テープ審査)に合格し定期出演が決定した。これはアマチュアバンドがライブを行う為に自費を払ってチケットを買い取り売りに出すというもの(チケット全部販売できてプラマイゼロ)ではなく、チケットを販売した枚数によってロイヤリティをバンド側であるこちらがライブハウスから貰えるという仕組みだ。ようするにライブを行えば収入が入る(勿論チケット販売の枚数も関係するが)ということである。舞い上がったのは言うまでもない(笑)。実際一度ライブを行って5~6万の収益があった。勿論経費や打ち上げの飲み会でその日のうちに消えていたが・・。

そのような活動を繰り返し私自身は本当にプロになろうと思っていた(実力は別として;;)。

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しかし転機は突然やってくるものである。メンバーが学校を卒業し就職をはじめたのである。そうなると練習はおろかライブなどまともに出来なくなってしまう。だんだんと音楽活動が縮小していく中で、私自身何時までも親に甘えている訳にはいかないと就職を決断。こうして音楽活動はプロ志向であった20代前半から、趣味としての音楽活動へと場を変えていくこととなり今に至るのである。もしあの時音楽活動を私一人で続けていったとしたら・・という思いはあるが、あの時の記憶・思い出は今でも強烈に私の心の中に残り続けている素晴らしい日々であった。

そして今でもたまに昔のメンバーとコピー曲などをプレイして友好を深めている。

「音楽との出会い」 完結!

※これ以降の投稿は現在の音楽に関するさまざまな話題などを触れていこうと思います。
皆さん長い長い文章を読んでくれてありがとうm(_ _)m

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